理事長 川室優
(かわむろゆう)
医療法人川室記念病院(旧常心荘川室病院)が、西洋医学・医療の明かりを、この北新保の地に灯したのは、今から140年ほど前にさかのぼる明治11年のことです。
創始者である川室道一は、明治元年、藩医であった鈴木道順に師事し、医業を開始しました。道一は、西洋医学に基づく西洋治療の必要性を痛感し、明治6年、横浜の地に赴き、医師で宣教師のヘボン(James Curtis Hepburn,1815-1911)博士等に、眼科・内科を学びます。一時、帰郷しますが、明治8年に再び上京し、佐藤尚中、井上達也にご指導賜り、当地に戻って後、当院を正式に開院しました。当時、眼科を標榜していましたが、地域の実情から、外科や内科疾患などの様々な治療を行うだけでなく、天然痘撲滅のため、県令に児童の予防接種を嘆願したり、貧困眼科患者施療担当医に任命されるなど、地域医療の充実に尽力し、また郷学校を創設し、教育にも尽力しました。
その後、日本の精神医学・医療の父である呉秀三博士より、『仁寿』の言葉を賜った二代目川室貫治が引き継ぎ、高田脳病院(現高田西城病院)を設立し、三代目川室道隆が、日本の戦後復興と共に、医院から病院に再構築しました。
それを後継いたしました私は、昭和50年前半より、精神障がい者の社会復帰に力を尽くし、精神科リハビリテーションを中心とするこころの治療病院を構築してきました。現在は、地域のニーズに応える認知症治療や、大学の派遣医師のお力を借りて、思春期外来などにも取り組んでいます。
このページをご覧いただいている皆様の中には、当地を『つくしの里』として記憶されている方もあろうかと存じます。私は、“精神障がい者が自己決定できる環境”を整えることが重要であり、そのためには、地域に様々なサービスが存在し、障がい者一人ひとりに合った場を創ることが大切だと思っています。また、私は、“障がい者が暮らしやすい場所は一般住民にとっても暮らしやすい場所である”という信念を持っています。そのためにも、医療・福祉活動を通じて、地域の中に周囲の方々を思いやるこころ(愛他のこころ)、すなわち『まあるいこころ』で共に“にっこり”と笑顔を見交わすことのできる精神を育み、そして、そのような気持ちを持った人たちと共に、患者さんや障がい者、家族の皆様を援助できることを願って、日常診療に従事しております。
今後とも、ご支援ご協力を賜りますことをお願い申し上げますと共に、地域住民の皆様の“こころ”が健やかでありますよう、ご祈念いたします。